大判例

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札幌地方裁判所 昭和47年(わ)895号 判決 1973年3月12日

主文

被告人を懲役七年に処する。

未決勾留日数中一三〇日を右刑に算入する。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、中学校卒業後、製紙会社の職工、石工などを経て、昭和四五年一月ごろから恵庭市○○にあるP興業株式会社の下請のR工業所に鉄骨工として雇用され、肩書住居地の飯場で起居していたものであるが、昭和四七年九月二〇日、市内の神社の祭礼日であつたので、仕事を早めにきりあげ、午後五時三〇分ころから右飯場内の食堂で、前記P興業株式会社で仕事をしていた電気熔接工のA(当時二八年)らも交えて、同僚とビールを飲んだが、午後一〇時ころ、お祭りに行こうと誘われ、同僚のBらと右P興業の作業場の建物沿いに正面入口に向つて歩いてゆくうち、反対方向から右作業場入口付近へ歩いて来る人影を認めたので、「誰だお前は。」と声をかけたが前記Aだつたので、被告人は「なんだ電気屋か。」と言つたところ、同人が、「なんだ、このガキ。」と言い返したことから、口論となり、前記Bが、二人の中に入つて仲裁をはじめたものの、Aが職場の小言を言つたため、Bとも口論になり、同人に対してもAが「このガキ。」と言つたのをきいた被告人は、自分や日ごろ尊敬しているBに対してまでそのような言葉を使つた右Aの態度にいたく立腹し、とつさに、刃物でこの場の結着をつけようと決意し、直ちに約九〇メートル離れた前記飯場にとつて返し、同飯場の台所にあつた刃渡り約21.5センチメートルの包丁(昭和四七年押第二一八号の一〇)を持つて喧嘩の現場へ走り戻り、A、Bの両名が未だもみ合つているのを認めると、被告人はAに対する怒りをいつそうつのらせ、場合によつては死の結果を生ずるかもしれないことを予見しながらあえてこれにかまわず、やにわに右手に握つていた前記包丁で、Aの胸部を一突きに突き刺し、同人の右前胸部に、心臓および大動脈を損傷する深さ約12.5センチメートルの刺創を負わせ、よつて同日午後一一時四五分ころ、恵庭市緑町二番地西部外科医院において、同人を右刺創に基づく大量失血により死亡させたものである、

(証拠の標目)<略>

(法令の適用)

被告人の判示所為は刑法一九九条に該当するので、後記の事情を考慮して所定刑中有期懲役刑を選択し、その刑期の範囲内で被告人を主文掲記の刑に処し、同法二一条により未決勾留日数中一三〇日を右刑に算入し、訴訟費用は、刑事訴訟法一八一条一項但書により被告人に負担させないこととする。

(弁護人の主張に対する判断)

一、弁護人は、本件犯行当時被告人は飲酒酩酊のうえ、極度の怒りと興奮とにより一時的な意識の混濁をきたし、心神喪失ないし心神耗弱の状態であつた旨主張するので、本件犯行当時被告人が果して弁護人の主張のとおり意識に混濁をきたしていたかどうかを検討する。

被告人は、公判廷において、本件犯行時、判示の包丁を持つて喧嘩の現場へ戻つてきてから、被害者を刺した時までの記憶が全くない旨弁解しているけれども、被害者がまず被告人と、次いでBとそれぞれ口論となつたいきさつ、口論の最中に飯場の台所に包丁を取りに走つた状況、喧嘩の現場に再び戻つた時の被害者とBとの状態、被害者を刺した直後の自己の行動や被害者の動作など、直接兇器を振つた際の状況以外の点は、被告人においてかなり正確に供述しているところを見ると、被告人の本件犯行の大筋に関する記憶は、ほぼ正確に保たれていると認められるうえに、前掲各証拠によれば、被告人は被害者と口論して興奮するや、とつさに飯場にある包丁のことを思いつき、すぐさま喧嘩の現場から約九〇メートル離れた飯場へ走つて、包丁を取つて引きかえし、そのままためらいもなく被害者の胸部を右包丁で突き刺していることが認められ、さらにBの検察官に対する供述調書によれば、本件犯行の直後、被告人が同人から「なぜ刺したのだ。馬鹿野郎。」とどなられたとき、「おやじのことをいわなかつたら。」とつぶとつぶやいていたというのであつて、これらの事実を総合して判断すると、本件犯行当時被告人には意識の混濁ないし部分的遮断があつたとは到底認めがたく、むしろ被告人は、強度の興奮によつて、包丁で被害者の身体に危害を加えることのみに意識を集中していたものであつて、いわゆる意識野の狭窄をきたしていたにすぎず、その限りでは、本件犯行当時の被告人の意識状態はかえつて一層清明であつたと言うべきである。従つて被告人が、Aを刺したことは全く覚えていない旨弁解するのは、興奮による意識野の狭窄のため事象の認識はあるがその記憶の再生ができないからとも考えられ、証人平田剛も右に述べたところと同趣旨のことを証言してこれを裏づけているのである。

ところで最近の司法精神医学の定説によれば、身体的な障害条件がない正常人の情動は、原則として責任能力の減免の前提条件になる様な意識障害を招来せず、ただ、例外的に意識障害をおこす特別な場合としては、熱性疾患などの身体疾患が存在するときか、極度の不眠、疲弊、飢餓などの生理的条件が認められる場合に限られるといわれているところ(武村信義「情動行動と責任能力」植松博士還暦祝賀「刑法と科学」心理学医学編二八二ページ、植松正「激情行動と責任能力」佐伯博士還暦祝賀「犯罪と刑罰」四三〇ページ参照)被告人についてこれをみるに、証人平田剛の証言によれば、被告人の知能はいわゆる限界域に属し、かなり強度の人格的偏倚が認められるものの、被告人は精神病、精神薄弱などの精神障害者ではなく、むしろ正常人に準じて考えられ、他方前掲各証拠によつても、被告人には前記の意識障害を招来するような身体的な障害条件はもちろん、犯行当時極度の不眠、飢餓などの生理的条件も認められず、また被告人はR工業所に勤務してこのかた周囲の環境に適応していたことが認められ、従つて周囲のあつれきによつて心身に疲弊がうつ積していたことも到底考えられないのであつて、結局、本件犯行当時被告人には意識障害を招来するような条件が存在していたと考える余地はどこにもないのである。証人平田剛が断定をさけて、被告人に意識障害があつた可能性があるやに証言するのは、右のような身体的、生理的障害条件の存否の検討を経ていないものであつて、到底採るに価しないものであることはいうまでもない。

以上検討のとおり本件犯行当時被告人は意識の混濁をきたしていたとは到底認めることはできず、かえつて狭窄した範囲であつても意識は清明であつたと認められるのであるから、本件犯行当時被告人が、事象の認識とそれに従つた是非の弁別および自己の行為の統制をなし得ず、あるいはその能力がいちじるしく減弱していたと認めることはできず、刑法上の「行為」主体たり得たことはもちろん、心神喪失ないし心神耗弱の状態にあつたとは到底認められない。弁護人の右主張は採用することができない。

二、次に弁護人は本件犯行当時被告人は殺意を有していなかつた旨主張するのでこの点につき判断する。

本件犯行には一見、強い動機がないと見られるのであるが、証人平田剛の当公判廷における証言からうかがえるとおり仲間に対する小児的な感情関係、自分を対等に扱つてくれている世界への安住といつた被告人特有の性格に着目するならば、突然「ガキ」と言われ、さらに仲間の悪口まで言われて平静を失い、これに生来の興奮しやすい性質があいまつて逆上し、判示のような未必的な殺意へと発展していつたとしても理解困難ではないのであり、また被告人が被害者を刺した直後ぼう然と立ちすくみ、Bのことばで我にかえり自分の巻いていたサラシをみずから被害者の胴に巻きつけたということがあつたとしても、これとて確定的な殺意の存在を否定するに止まり、犯行後事態の重大さにあらためて気づいたための事後処置とも解されるのであつて、かえつてAを単にやつけるための道具ならばもつと手近にあつたにもかかわらず、被告人はわざわざ喧嘩の場所から約九〇メートルも離れた飯場に、包丁を取りに走つていること、その包丁を用いて、身体の枢要部である被害者の胸部に、心臓および大動脈の損傷を伴う創口の長さ約3.6センチメートル、深さ約12.5センチメートルの刺創を負わせていることなどが前掲各証拠により認められ、他方被害者の体勢が急に変るなどして、包丁が思わず胸に突き刺さつたという様な特別の事情は認められず、本件のような兇器の種類、形状および用法によつて表象される極めて高度の危険性をもつ犯行態様をあわせ考えると、前記の如き動機および犯行直後の被告人の態度を考慮に容れても、判示のような未必的の殺意を認めるに十分といわなければならない。

以上のとおりであるから弁護人の右主張は採用することができない。

三なお弁護人は、被告人の捜査段階における自白が取調官の巧妙な理詰め質問により暗示ないし誘導されたもので任意性を欠くと主張するので、この点についても一言しておく。

取調官の理詰めの質問に任意性があるかどうかは、具体的な情況に照して、各場合ごとに判断すべきところ、本件における被告人の自白の経過を見れば、被告人は客観的な情況証拠を示されたうえ、当時の気持を尋ねられ、結局みずから取調官の説明を聞き、当時の記憶を再生したものと認められるのであつて、何ら被告人の意に反し、記憶していない事柄を無理に供述させられたり、虚偽であることを認識しながら取調官に迎合して自白したりしたものとは到底認め難く、この点の弁護人の主張も採用することができない

(量刑の理由)<略>

よつて主文のとおり判決する。

(内匠和彦 清田賢 末永進)

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